問題を課題に変えられる人、できない理由にしてしまう人

今日は和歌山大学にて講義を2コマ担当してきました。先週がミャンマー出張のため休講だったため、そのお詫びと土産話から。でもその話のなかであるメッセージを伝えてきました。
この写真はミャンマー出張中に撮影したものです。学生は建築学科ではありませんが、これが工事現場であることは一目でわかります。そして足場の上に立つ人が作業員であることも。
「この写真に写っている彼に日本で売ってるもので買ってもらえそうなものはありますか?」という質問に対して、一人の学生が「工事現場向けの作業服がいいのではないですか?」という回答。「確かに売れそう・・・」ということで話はここからが本番です。
安田:「さて、ミャンマーにいって現場作業服を売ろうというアイデアが生まれました。皆さん、どうですか?やりますか?」
学生A:「いや、わからないことが多いのでやりません。」
学生B:「楽しそうなのでやります。でも確かにわからないことは多いです。」
仮に現場作業服を売る事業を開始することが「目標」だったとしてわからないことだらけの「現状」との差が「問題」なわけです。この3つがあきらかにならなければ「問題」すら認識できず不安なままなわけですが・・・「問題」があきらかになったときに大きく2通りの人がいます。
A:問題をできない理由にしてストップしてしまう
B:問題を解決さえすればできるんだからやってみよう
どっちを取るかは、その「目標」をどれぐらい達成したいと考えているかという「動機」の部分とそもそもの自分の性格や取組「姿勢」に影響する部分が大きいです。
さらに「問題を解決さえすれば」というのは「問題」を「課題」に変えるということです。その解決能力が自分に備わっていなければAに傾いてしまいそうになります。しかしもう一度考えてみるべきです。自分に備わっていないのであれば、備わっている人に手伝ってもらえばいいのです。この思考もどれぐらい達成したいのかの「動機」の強さが強く関わっています。もちろん、「備わっている人を知っている」は解決能力の一つです。
伝えたメッセージは2つ。
1.不安になったら「目標」「現状」「問題⇒課題」のどれがわからないのか考えてみよう。すべて解決すれば不安は危機感にかわります。
2.目標が達成できるかどうかの要素の1つとして、自分がどれだけその「目標」を達成したいと考えているかがあります。無理だと思ったら「自分の想いが足りないのではないか」と振り返ってみましょう。
・・・・ちなみに講義はシステム工学についてです。全然関係ありませんね(^^;