16日、17日と中小企業診断士らの集まりで福島県にいってきました。
風評被疑に苦しむ食品メーカ。
いち早く営業を再開したリゾートハワイアンズ。
そしていわき市の海岸沿いの被災エリア。
などを訪問してきました。福島県の応援企業に登録したり、ネットショップの売上の一部を寄付金として納付したりとしていますが、震災後福島県を訪問したのは初めてでした。自分にできることが1つ増えました。見てきたこと、感じことを地元関西で多く語ることです。
その1つ目は原発とガレキ処理のことです。
集まりは全国各地のメンバーからなります。
私は大阪なので、「関西の電力ってそんなに大変なの?」という質問があったり、関東方面の方からは、「昨年の節電では何とかやれた。ということは福島の原発は本当は必要なかったのかなぁ」といった感想があったり。
そして地元の新聞では県内の放射線量を詳細に記したものや「母乳は飲ましても大丈夫か?」といったQ&Aのコーナーがあったり。また紙面では県内の多くの首長が大飯原発の再稼動に反対であると意見を述べられていました。
人の意見は様々あることをご留意いただいた上で・・・
私はそんなに深く熟考できるような論理的な思考ができる頭を持ち合わせていませんが、この問題は少し考えればわかることでした。
私は原発には反対です。100%の安全はありえない。それを皆が震災で認識し、私もそうだと感じました。大飯原発はその上、必要な安全措置を何年も後回しにして再稼動を決定しました。
事故があったら何十年も爪あとを残す危険なものをどうして利用するのでしょうか。
事故が起こる確率は何千、何万、何億分の1かもしれませんが、起こったときの影響が甚大ですし、そもそも影響を正確に測るすべすら我々は持ち合わせていません。もしも、例えば、そんなリスクのある玩具があったとしたら自分の子どもに与えて遊ばせるでしょうか。少し考えればわかること。自分の身近で大切な人が失われるかもしれない。そう考えればダメだとわかること。
15%の節電は無理なのでしょうか。そもそも無理だからって危険なものに手を出すことは愚の骨頂のように思えます。
「地元の人の生活を守るため、子どもたちの未来を守るため、万が一でもそれを阻害する危険性を含むものは再稼動させられません。より安全なエネルギーが利用できるまで苦労・不便をわかちあって、今をしのいでいこう」・・・と、どうして言えないのでしょうか。
浪江町の町民が避難・疎開した先がわからなくなって、将来また住めるようになったときに町の振興の担い手となる町民が戻ってこないかもしれない。避難・疎開先は行政も把握できていないとのことです。そこでそうした情報を全国から集めて、散らばってしまった町民へ浪江町の情報を定期的に配信していこうという動きがあるという話をこの集まりで聞きました。町が住めるようになっても住む人がいなければ町の振興はありえません。
経済を優先して・・・
「経済」は「経世済民」の略です。世をおさめて民を救うという意味です。
何のための経済なのか。救うべきは一部の利権者ではなく、民、すなわち皆です。
皆が皆のために・・・皆が絆の大切さに気がついたはずなのに、ガレキの受け入れ反対の
声を聞くと悲しくなってしまいます。どうして分かち合えないのか。しかもガレキ処理は被災者にとって復旧・復興のスタートでしかありません。ちょっと1歩踏み出すの手伝って・・・という声をどうして聞いてあげられないのでしょうか。「自分の子どもへの影響があると心配だから・・・」という声をよく聞きます。親の気持ちがあるのなら、どうして被災地の親の気持ちがわからないのでしょうか。
どうして自分の身になって考えられないのでしょうか。想像力の欠如でしょうか。
だから相手の痛みが想像できなくって身勝手な事件がなくならないのでしょうか。
今月号の『致知』の記事のなかに、平和は外にあるのではなく、一人一人の心の中に
あるということが書かれていました。
皆が心の中の平和を育んでいけるよう、微力ながらがんばります。
平和の源である元気を育み、私の理念に従って経営者を元気にしていきます。
経営者の元気を源にし、社員やその家族、地域が元気になるようにがんばります。
誰かが犠牲になるのではなく、努力が正当に報われる世の中になるようにがんばります。
そんながんばりが震災からの復興に対して自分ができることの1つのように思います。